【大地堂の由来】

大地堂

大地堂 市川武治著『地蔵堂(大地堂)の来歴』によると、古来、大沢から諏訪方面に抜ける道があり、坂を登りつめたこの地に、お地蔵さんか、お堂が建てられた。大きな地蔵であったのか、大地蔵が後世大地堂になまったのではないか、とある。右の写真は大地堂の松。現在のお堂は、昭和29年に建て替えられているが、以前のお堂は江戸時代の元禄期以降に建てられたもので、茅葺きの古い建物だった。ご本尊は子育地蔵と延命地蔵で、彩色もされ、ともに愛らしく上品なお地蔵さんだ。昔は住職(堂守)もおり、何人かは尼さんだった。疎開者も一時期住んでいた。地蔵尊を祀っているお堂と、一体となっている公会場は他にあるだろうか。名前のとおり大地堂の最大の特徴だ。地蔵堂ご本尊の子育地蔵と延命地蔵今でもお堂の脇に太鼓が掲げられ寄り合いの時刻には「ドンドン」と鳴り、告げられる。大地堂公会場の床の間に古い太鼓が置れている。「羯鼓」という胴長の太鼓だ。新田で念仏講をしたときに使った太鼓と類似している。戦前まで、大地堂でも近在から老人らが多数集まり鉦や太鼓をたたいて身振りおもしろく踊念仏をした、という話も残っている。地蔵堂の遺物として他に、半鐘、伏鉦、不動明王の剣と鉾先などがある。境内には、庚申塔、常夜燈、十九夜塔、残欠石地蔵尊座像、立石などがある。お堂の庭に巨松が、枝を広げてる。樹齢300〜500年といわれ地域のシンボルとなっている。

 

 

 

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