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【道祖神祭りとどんど焼き】(大沢新田)
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新田の中ほど、道路北側に双体道祖神が2体並んでいる。
かつては道祖神祭りを学校の正月休みの終わり頃に行なっていた。子ども達が、御幣を振りかざし悪魔払いをしたり、甘茶と渋茶をつくって天秤棒でかつぎ、村中に配ってお賽銭をもらった。暮れの内から山に入り薪たきぎを取ってきて、それを売って金にした。野沢や中込まで荷車で売りに行ったという。その金で古本を買って小さい子大沢新田の道祖神大沢新田地区で行われた「どんど焼き」どもらに配った。上級生の何人かが「べっとう」といってリーダー役をはたした。本の無い時代、子どもらは大喜びだった。脇に小屋を造って、子ども達が遅くまで騒いでいた時期もあったという。どんど焼きも続いて行った。山から切ってきた丸太でやぐらを組み、周りに正月飾りや書き初め紙などををうず高く積み焼いた。この火で焼いた繭玉や餅を食べると風邪を引かない、といわれた。燃え残ったやぐら材は競売し、薪として使われた。戦時中に道祖神祭りはしなくなった。どんど焼きは、戦後まもなく復活した。やぐらに使う木材は夏頃から準備を始めた。正月中に「おんべこんべ」といった特製の御幣を振りかざし、家の中に入り家内安全と悪魔払いをして歩いた。家は、みかん、お菓子、お金を子ども達にあげた。御幣も最後は競りに掛けられた。べっとうは、集まったお金で学用品などを買い、下級生に配った。どんど焼きの準備の際は、「どんど焼き用ー意」と叫び、準備が整うと「燃しつけるぞー」と子ども達が村内を触れ回った。一時途絶えたが、どんど焼きだけは今でも続き、元々は暗くなってから行ったが、この頃は昼間行っている。どんど焼きで、燃え残った竹を屋根に上げておくと火事にならないという。 道祖神祭りとは関係なく、秋頃、おはぎを道祖神の顔や頭に塗りたくると、風邪を引かないといわれ、戦後まで子ども達が行っていた。